(産地の声) vol.1756 一老農のつぶやき 2026.7.8
農の仕事について早半世紀を過ぎた。農の農業高校を卒業して、次に通ったのが県の中堅青年養成所と言うところだった。そこの所長先生は今でも私の心の師匠となっている。所長先生は、剣道の達人で厳格な人柄だったが、人間としての大きさ、深さがあった。
その先生の教え「自然から離れると人間らしくなくなる」「自然を忘れると正しい歴史観を持てない」ということ。教えられた当初は、その持つ意味がよくわからなかったが、年を重ねるにつれて体に染みこむようになってくる。
今もそうだな、と思う。そういう目で見ると近年の世相は、人間第一主義がやたらと目につく。第一ヒトという生き物を人間は作ることができない。どんなに科学や生物学が高度になろうが、進歩しようが生命を生み出すことはできないのだ。
いじることはできる。遺伝子操作という技術が進んでいいるようだが、これとて遺伝子をどんなに解析しようが命そのものは作れない。自然の営みの中で誕生するのだ。そして遺伝子を元として、その成長は自然環境にはぐくまれて育つ。だから環境は大事なのだ。
だが今の教育は、命の神秘、大切さを教えない。命が大自然の営み中で生まれ、誕生した命は、人類数万年の歴史をお母さんのおっぱいを飲みながら3歳までの間にヒトから人に、そして人間として育てられる。
数年前、保育士や幼稚園の先生方の研究大会に参加したことがあった。そこで学会の会長さん(名前を忘れた!)が言うには、育つとは、言葉を覚え道具を使うことを覚え、人と交わることを知って人間になってゆく。ところが現代の子供たちの5歳の子供たちは、50年前の3歳児程度だという。そうだとするとゆゆしき事態ではないのか。
教育界は、今でも偏差値主義で、「人間を育てる」という視点が欠けている。養老先生は、個性より人の気持ちがわかるようになれ!、というが全くそう思う。
最初に戻るが、我が家はまず自然ということが基本としてしている。食べるものは、自然の力で育ったものを食べる。世間では、農薬を使わないと作れないと言うが、それを人間で言うと薬の飲まないと健康になれないと同じではないかと考える。いわば病気の食べ物(極端かな)を食べることでいいのか、などと思うのだ。母は、素のものを食べる!。食べられることはありがたいこと=感謝してたべるのだ、と教えられた。
なので今でも我が家の食事の8,9割は自家製のもの。世界のどうなろうが家族の命は守ろう、と思う。今はあまり言われないが「なりわい(生業)」であって、もうけることが仕事だとは思わない、知足の世界観なのだ、などとつぶやいている。 byおかげさま農場・高柳功
