(産地の声) vol.1743 一老農のつぶやき 2026.4.8
昨日は、札打ちの日だった。札打ちは、故人の供養のために各札所を回ってお参りする日。檀那寺は札所になっているお寺なので、毎年4月7日は役目としてお務めの日だ。お寺さんの総代ということもあって、連れ合いと毎年の行事で通っている。
この日は檀家でない村内のお母さん方もお接待のお手伝いをしてくれる。あいにくの雨のせいか、お札参りの方も少なく、もっぱらお母さん方のおしゃべりの会になった。近年は、お互いが会う機会も少なくなっていたので、しばらくぶりの話に花が咲いた。
コロナ当たりからお葬式も家族葬などとひっそりと葬儀を済ましてしまう家も多くなった。村内なのに私の知らないうちに何人も亡くなった話がでて、びっくりし通しだった。村八分は、悪さで村の付き合いができなくなることだが、それでもすべて付き合わないということではなく、2分は付き合いを残し、それは火事と葬式だけは付き合うということだ、と聞いたことがある。
そうだからと言うわけではないが、かってお葬式は全村で葬式に香典をあげた。ご縁を大事にしてきたということだ。それがコロナ以来、急速に疎遠になって、家族葬でひっそりと葬儀をするようになって、村の付き合いが薄れてきたようだ。コロナ騒ぎはこれまでの習慣や伝統?までも変えた感がする。
かっての日本人の生き方は、小さな諍いはあったものの、みんなで助け合い共に生きてきた。競争よりも、共に生きる伝統というか、困ったときは助け合うという人間関係があったように思う。そのよりどころがお寺や神社だった。
午後になって雨が上がり、田んぼの用水係だったこともあって村内の田んぼを見回り、水の出具合を見て帰る。自然は、例年と変わりなく桜が散りはじめ、木々は新緑を伸ばし始めていた。
今日は昨日とうって変わって晴天!田んぼや畑と忙しい。25日に蒔いた種籾が一斉に発芽し、緑の絨毯になっている。それを見て都会のお客さんが、芝生ですか?と聞かれたことがあるが、遠目で見るとそうも見えるかな?と苦笑したことがある。
1.8m幅の54mの長い緑の絨毯。所々、乾燥するので水道で灌水し成長を促す。一方、遅れていたキュウリの種まきを孫とした。今年の新規就農で一応、農者大を卒業したのである程度はわかっているので仕事はできる。
が、カボチャを作りたい、と言うのですべて任せておいたのだが、1週間たっても芽が出ない。原因は深く蒔き過ぎだった。初めての人がよくやることだが、これも練習、勉強だ。失敗を重ねるほど理解が深まる。などと慰めた。これから田に畑に忙しくなる!
おかげさま農場・高柳功
