今年もお遍路へ

(産地の声) vol.1737一老農のつぶやき     2026.2.25

 先週は、四国85カ所巡りの日々だった。もっと若いときに巡礼の旅をしたかったのだが。

 1昨年、徳島から始まり、昨年は高知、今年は愛媛を巡る旅だった。

 

 徳島県の一番札所から始まり、般若心経を唱え、大師堂で真言を唱え札所を巡る旅だ。昨年は高知県を、今年は愛媛県を巡り、70番札所まで出来た。来年で満願予定。

 それにしても四国は山また山だ。関東に住む者からすると別世界。しかも急峻な地形で谷底をのぞき、かつ見上げるような山の頂の連続で、今回は88ヶ寺の中で最も高い寺に登ったが、その登りの曲がりくねった道は、よそ見できないハンドルさばきが要求された。急な上に、いろは坂よりも曲がりくねり、かつ狭い道で、連れ合いが「落ちそうよ!」と叫ぶ中の運転だった。

 そうした苦労(苦難かな)の中でも驚くことは、その縁起をたどると弘法大師よりもさらに百年前の行基上人や役行者小角が創建したとされる千三百年前の時代に遡る。行ってみて思うのは、人も住めないような高山に荘厳な寺を建立するとは、と驚きっぱなし。

 連れ合いと共にしたのだが、昨年秋に骨折したこともあって当方は車だったが、歩き遍路をする人も結構見かけた。俺たちには、平地部はともかく高山のお寺さんはとても無理。しかし今でこそ車があるが、昔はみんな歩き遍路だったことを思うと頭が下がる。

 日本人は無宗教だと聞いてきた外国人が、各地にある神社仏閣に丁寧に参拝する姿を見て、日本人は信心深いではないか、と言ってた話に頷く。

 四国を歩くと田や畑の荒れ地が目立つ。日本の風景が荒れ始めている感を強くする。明治初期の日本を訪れた外国人が、人間と自然の調和した国作り、美しい国と、書き残しているが、今の日本を見てどう思うだろうか、などと思ったりする。

 米問題に限らず、農の世界は単にお米や野菜を作るということだけでなく、人と自然との付き合いであり、自然環境との折り合いをつけてきた文化がある。

 人と自然の折り合いをつけ、かつ自然の手入れを怠らない生きざまを持って来たのが日本人ではなかったのか。便利さと限りない欲望(自然を無視した)ばかりを追い続けてきた日本人に成り下がったのではないか、などと連れ合いと話したが、どうだろう。

 1週間の旅を終えてうちに帰ると、雨模様だった。

 この季節、にんじんの種まきやサツマイモの苗作りが始まっている。我が家も先週は、なすやトマトの種まきが始まった。夏野菜の準備が始まる。人は食べなければ命が続かない。食べ物は農がなければ得ることができない。養老先生の<未来は田んぼにある>ということが思い出される。

                      byおかげさま農場・高柳功