(産地の声)vol.1731(産地の声) 一老農のつぶやき 2026.1.7
明けましておめでとうございます。
新年を迎えられたことはありがたいことだけれど、世界情勢に目を向けると地球の未来がとても心配になる。千葉の片田舎のじじいがそんなことを言っても何の足しにもならないことはよくわかっているつもりなのだが、心配になる。
養老孟司さんが「日本が心配」という本を書かれたが、大震災は必ず起こる。心配なのは震災もあるがそれ以後の日本がどうなるか、が心配だという。
年末にも書いたが、米問題。コメンテーターやら評論家、そして専門家と称する人たちの論調は農村に暮らす者からするとほとんどが現実を見ず、歴史的な考察もなく、見通しのない話ばかりだったことだ。
人は自然の恵みで生きている。それ以外でもそれ以上でもない。大自然とどう折り合いをつけていくかが人間社会の有り様を決めると言っても過言ではないと思うのだが、そういう議論はなく、効率だの機械化だのの議論に終始していることに失望を感ずる。
命あっての物種だ。命あってこそがすべての始まりであって、お金がいくらあろうが食べ物がなければ命は持たない。根本的な認識が欠けているように思う。
この国は、農業論で米問題を語っているが、本質は日本人の食料をどうするかという視点の議論を避けている。フランス人は、農業問題というとそれは我々の食べ物の問題だという国民的反応をする。農業農民に対する理解力を持っている国民なのだ。
この国の場合、農を続けてきて感ずることは、農業に対する差別意識、もっといえば蔑ろにする国民的心情があるように思えることだ。それは別の見方をすれば、地方を蔑ろにし、都市が優位であるかのような価値観とでも言えるようなものだ。
「命」という次元で考えれば、都市には命を支えるものは何もない。空気や水、そして食料は命に欠かせないものだが、都市は、それらを供給する自然豊かな地方(農山村)があってこそ存在できる。今、農山村は疲弊が進み、それこそ将来が心配なのだ。この国は持たないのではないか、そんな話を田舎者はしている。
その上この国の首相の発言によって日中の争いの種をまいてしまったことに、さらに心配の種が増えてしまった。世界中がおかしくなってきてるが、「もう、つまらないから軍事競争はやめようよ」と呼びかけることはできないのかと思う。日本は平和憲法の国なのだから、世界に向かって呼びかけることのできる国だと思うのだが、いかがか。
宮沢賢治の詩の「雨にも負けず」にもあるが「・・・キタニケンカヤソショウガアレバ、イッテツマラナイカラヤメロトイイ・・・・」素朴にそうなればいいな、と年の初めに思う。
おかげさま農場・高柳功
