食べ物は自然の恵み

(産地の声)vol.1723 一老農のつぶやき           2025.11.5

 天高く馬肥ゆる秋、という言葉は収穫の秋となり腹一杯食べられるようになり、肥えるからそう言うのだと勝手に解釈していたのだが、ちょっと違うようだ。だがそれでもいいのではないか、と思っている。

 

 先日たまたまだが、老齢の人が集まって歓談。昔の話になった。食べ物がなくて、畑に人参があったのでちょっと失敬して食べた。秋は、柿の実があちこちになっていて柿の木があれば、これもちょっと失敬して食べた。

 要するに、絶対的に食べ物が不足していた時代のことで、辺りを見回し食べられるものがあったら飛びついてしまった、という経験談だった。現代は、何を食べようか、といえる時代だが,その昔の時代は何が食べられるか、に必死だった。

 川に行けば、ザリガニや小魚、シジミ取りなどをし、山に行けばイチゴや栗、野ブドウなど、ともかく食べられるものは何でも食べてきた。童謡-ウサギ追いしかの山、小鮒釣りしかの川、ゆめは今もめぐりて忘れがたきふるさと。-の歌が心にうかぶ。

 時代は大きく変わって、スーパーに行けば所狭しと何でもありの時代となった。我が輩などは、これがいつまで続くのだろうか、と時々考えてしまう。

 お米の問題-今でも価格論争で続いているが、田畑は荒れ地が増え、農業者の老齢化が進み、地方は疲弊し、今後誰が食を支えるのだろうか、という危惧を抱く。今はお米だけの話になっているが、ことは野菜だって、お肉や鶏卵だって同じ運命の流れなのだということを消費者という皆さんは分かっているだろうか。

 また、地球環境=自然環境が荒廃し(海や川も同じ)海も汚染され漁獲高(自給率は3分の1)も減少している。地球の生き物はすべて自然の恵みに依存している。人間も自然界の一員であって例外ではないのだから、などと憂う気持ちが強い。

 秋が短くなって、明後日7日は「立冬」になり、季節は巡りは冬を迎える。旬を食べると言うが、人間も旬の中で生きていることを忘れてはいけない。

 旬を食べるとは、その季節に一番元気で生命力が発揮されているものを身体に取り入れるということ。それが生命力を授かることになると思うのだ。「身土不二」と当農場では呼びかけてきたが、それは人間以外の生き物は全て活動範囲のものしか食べない。そこから学ぶこともありはしないか。

 これからは冬の季節、大根やほうれん草など旬の野菜を充分採って健康であって命を全うしたい。そして恵みを戴く大自然に感謝することを忘れないようにしたい。                    byおかげさま農場・高柳功