幸せは自分で決める

(産地の声)vol.1721 一老農のつぶやき           2025.10.22

 天候がすぐれない。晴耕雨読を日本人は忘れている感があるが、我が家は健在だ。で、昔読んだ本を読み返してみたら、今の日本を予測していた人がいた。・・・・・

 

・・・・・日本の状態を見ると、食糧は自国で作るよりも安価であれば輸入するのが経済原則にかなうという考え方で、生産調整、減反政策を推進する方式をまだ変えないから、作付面積は減少の一途をたどり、一度休耕した農地は荒地化して、完全に元に戻すための時間は十数年を必要とするほどになり、農業意欲を捨てさせられた農民は、機械の刃も受け付けないほどに荒廃した土地を前にして、美田に戻すだけの気力をのこすかどうか。

 数量化することの困難な生産意欲の減退や地力の劣化を招いた、先を見る目のない農政の失敗の罪は万死に値するものと言える。・・・・・

 数十年前に指摘していたのだった。我が輩としては、代々の農家であったこともあって、農を継ぎ、農業は過去も現在も未来も、人間が生きる根本の仕事なのだ、と考えてきたが、そうしたことを日本社会は失念し、どこで狂ってしまったのだろう、と思う。

 建国以来、食糧は人が生きるに根本であり、日本中の神社では「五穀豊穣」「天下太平」を祈願し続けてきたのではないか、などと思う。

 17日は神嘗祭の日。ここでは、ジンジ(神事)と呼んで新米で麹をつくり、甘酒を造る。当日は神社でお祓いした幣束が氏子全戸に配られて、幣束と逢わせて甘酒を氏神さまにあげる。天からの恵みに感謝!する日なのだ。

 話はコロコロ変わるが、今朝は孫が驚きの声を上げた。なんてことは無いのだが「味噌汁にナスがない!」と叫んだのだった。我が家の食事は自給自足を宗とし「身土不二」が生き物としてあるべき姿だ、などとのたまっている家なので、およそ8割くらいは自前の食事で毎日取れるナスが三度三度の味噌汁の具だった。

 ご飯に味噌汁そして畑にあるナスやキュウリジャガイモやタマネギなどのお惣菜なのだが、ナスは採れ始めてこれまで毎日のように味噌汁の具に入っていた。久しぶりのナスなしにタマネギが具になったことに、感動したようだった。

 江戸時代の国学者の「たのしみは たまに魚にて 子供らが うましうましと いいて食う時」という詩を思い出した。我が家も時々は魚も食うしたまには肉も食べる。幸せは自分が決める、とTVであの俳優加山雄三さんが言ってたが、その通り。何が上手いかというより、今日も食べられた、と幸せを感ずるようでありたい。

                  おかげさま農場・高柳功