(産地の声)vol.1720 一老農のつぶやき 2025.10.15
農の道に入って半世紀を超えるが、ずっと疑問に思っていることがある。
それは、値段とは何なのだろう?ということだ。農の世界は自ら値段を決められない。いつも、相手に値段を決められていた。今もそうだ。
今回も、お米の値段が高いと叫んでいるが、高すぎてはいけないかのような論調しかない。需要と供給で値段が決まるのが当然というならば、それを受け入れるしかないのではないか。高い事が問題であるかのようにしか扱わないマスコミや解説者を見ていると、二律背反のように思えるのだが、どうだろう。
野菜でも同じで、近年の気候変動で作柄が安定しない。よって、キャベツやトマトなど例年の2倍3倍になったりしてる。要するにマスコミは消費者目線で安くなることが世のため人のためかのように人心を誘導しているのではないか。
仲間が言う「農家が豊作だと安くなり、不作だとモノも良くないのに高くなるなんておかしいじゃないか。農家は良いモノをより多く生産すると安くなってしまうなんて、何かおかしいよな」。本来は、みんなが腹一杯に食べられるように作ることが農業の有り様だと思うのだが、実情は逆転している。
値段の問題だが、農業以外は原材料費、燃料費、機械費、包装費など原価を計算して販売価格を決めて始まる。農の世界はいつも不安定で、であるがいのちの元なのでなくてはならない仕事なのだが、そういう原価計算をしない所が釈然としない。
需要と供給で言えば、この国は値段ばかり議論してるが、欧米は違う。需要と供給の値動きはあるが、農産物を支えるものは、土地と人だ、と手当をする。
だから、値段の上がり下がりはあるが、土地を守り、経営体を守るということをしっかり体制つくりをしている。経営体が赤字にならないように、EUが米国政府が、一定の基準の下、経営体が継続できるように直接補助をし、国民の食を守っている。そういう基本的考えのない農政だった。それが証拠に20年30年前から自給率向上とか50%の自給を目指すとか言っていながら、全く前進せず、むしろ後退して現在に至っている。そして米価騒ぎをしている。
これまでの農民の話は、農政の曲がり角をと何度語ってきたか。曲がり曲がってもう、どうなのか分からなくなってしまっている。お米だけの問題ではない、畑作物の野菜なども同じ運命にある。農村は疲弊し、地方は休耕地が増え藪だらけが進行している。国防費はいつの間にか倍増したが、国土は荒れ果ててしまっていいのだろうか。 農家だって、高ければいいと思っているわけじゃない。人並みに、と思うだけなのに、などと思う。 byおかげさま農場・高柳功