(産地の声)vol.1713 一老農のつぶやき 2025.8.27
記録的な夏日が続いている。夏日と言うより猛暑日だ。
夏野菜である我が家のナスも猛暑の影響を受けてか、つやのないナスになってしまっている。お客さんには、少々の事は我慢してほしい、と思う。
報道でも、野菜の値上がりがすごい、というけれど、この現象も異常な高温に野菜が適応できない、ということだろう。今後もこうした異常気象が続くことを考えれば、従来の野菜の出荷基準なるものを改めた方がいい、と思う。
日本の出荷基準というのは、自然の実りを全く無視する傾向がある。例えば我が家のミニトマトが、ちょっと収量増となった時に市場に出そうとしたら、大きさをそろえなければ売れない、などと言われる。
日頃の当農場のお客さんには、大きさもいろいろなので、と断って問題なく食べていただいているが、市場となるとそうはいかないらしい。トマトに限らず、畑でなるキュウリやナスも同じで大きさや形が違ってできるのは当たり前なのが自然の姿なのだ。
生産の現場では、それらを大きさや形で仕分けして、お店に並んでいる。その仕分けの作業が大変なのが、買い求めている皆さんには分からない。20カ国ほど歩いて野菜の売り場を見てきたが、どの国でもいろいろなのが当たり前なのだ。
フランスでの場合。トマト売り場には大きいの小さいのが入り交じり、赤いのや青っぽいのが入り交じって売られている。日本では考えられない荷姿なのだが、聞けば自然の姿は大小様々が当たり前でしょ。熟れすぎたのもあれば青っぽいのもあるのが自然でしょ。と買う方が理解を示す。
そして、熟れすぎたのは煮て食べればいいのよ。ちょうどいいのは生食すればいい。ちょっと手前のは、時間をおけば赤くなって、食べ頃まで待てばいいのよ。
などという返答が返ってくる。この国の場合、店舗からM玉だけを送ってくれ、と言われたことがあるが、じゃあM玉以外をどうしてくれるの?工業製品じゃないので同じ大きさのトマトだけを作ることはできないんです!と理解を求めたことがある。
テレビでは、高くて買えないなどと価格論だけが問題視されているが、この世界基準と日本基準の違いはどこから来るものだろうか、考えてしまう。
形や大きさではなく(少々の虫食いなども)食べられるかどうか、が問題であって、自然の恵みに感謝することが第一ではないのか。野菜やお米の育つ大地があり、人間が生かされているという理解の仕方があっていいと思うがどうだろう!
byおかげさま農場・高柳功