(産地の声)vol.1701 一老農のつぶやき 2025.6.4
農家をやりながらずっと疑問に思ってきたことがある。それは、自分たちで作った野菜やお米の値段を自分で決められない、と言うこと。
農産物以外の全ての市場に出回る商品は、原価計算をして採算を考えての価格の決定が為される。なのに、である。
農林大臣が小泉大臣になって、備蓄米の市場開放で毎日のように報道過熱しているが、年間700万トンの需要があり一月で60万トンの需要がある。備蓄米は一時の騒動のような気がするのだが、どうなのだろう。そもそも、低価格で備蓄していたものだから安くていいとも言えるのだが。
野菜も昨年暮れから、雨が少ないこともあって不作となり、例年の2倍、3倍の価格に跳ね上がった。需要と供給の結果、値段が上がった。お米も同じで高くなって当然と思うのだが、どういうわけかお米の場合、安いのが当然というマスコミの論調が不思議と思うのだがおかしいのだろうか。
また、最低賃金というのが国や県で毎年発表される。ところがである。稲作農家がその最低賃金で働けていないことは、全く問題にされないで来た。何でだろう?と思う。勤め人は時給の考えがあるが、農家の場合は農家の儲けと表現する。勤労者には最低賃金としての時給と言う言葉で、何故、農家には儲けという言葉で語られるのだろうか。その意味するところを誰か教えてほしい。
儲けよう、ではなく、せめて勤労者の言う時給(最低賃金)程度は保証されてほしいと思う。だが、今回こういう事態になって初めて、農家の手取りは時給10円(新潟大学の調査では時給3百円程度)などと報道されるようになったが、こちらをどうするかは、ほとんどその方策が語られていない。
結果、米作農家はここ10年以内に半減すると見られている。飽食の日本にしてしまったけれど、いのちを元である食べ物の重要性を悉く蔑ろにし、経済主義(お金万能主義)にしてしまったつけが近未来で大変な事になろうと思えてならない。
お茶のみ話だが、ルイ16世時代のフランス革命でマリーアントワネットが言ったといわれる「パンがなければケーキを食べればいい」と言う話があった。「今はそうなってるじゃない。お米が高ければパンを食べればいい」と。・・・だじゃれの話です。
お米つくりだけでなく、酪農農家も水より安い牛乳価格であちこちで倒産、廃業が続いているという。稲作農家も米つくりはボランティアだ、などと言う話で持ちきりだった。損得の問題でなく、食と命の問題だと思うのだが。浅い議論ではなく本質的な国民的議論がほしい。 byおかげさま農場・高柳功