(産地の声)vol.1685 一老農のつぶやき 2025.2.12
11日の建国記念日は田んぼの暗渠作業だった。昨年から機械が沈没?するようになって、何とか植えようとしたが、田植え機がズブズブとはまってしまい植えられなかった田んぼだ。
この地の田んぼは谷津田と言って、山あいから地下水が噴き出す。なので全体に暗渠をして初めて機械が使えるようになる。ところが、年数が過ぎると暗渠が詰まる。状況は違うが、埼玉の県道での下水道管が詰まってしまうのと似ている。
田植えに向けて今のうちにやらないと間に合わない。
建国と言うが、いつ頃から国ができたのだろうか。江戸時代頃までの国は、自分の住んでいるところのような意味合いだったように思う。明治あたりから国というと国家になったのかな。建国2600年と言うが、歴史で学んだのは聖徳太子あたりから国の形ができたように思うがどうだろう。
国のない縄文時代の方が弥生時代の方が良かったのではないか。古事記にてくる海彦山彦の話ではないが、狩猟採取の物々交換の時代が長く、稲作が入って、人々は定着するようになった。文献など読むと厳しさはあったが今よりはるかにおおらかだった、と言う記述もある。
20年以上前になるが、青森の三内丸山遺跡が見つかったという時に見学することができた。3千年も前に人々が暮らしていたという。栗の大木を柱にして住居も立派だったし、何より数百人の人々がそこで数百年と暮らしていたというのだ。
時間は戻せないが、私などそんな暮らしになんとなく郷愁をおぼえる。
今日もTVでは野菜の高騰、そしてお米の政府米放出のことなどの話が、なんとなくしっくりしない。それがなんなのか分からなかったが、一つ気がつくのは、農産物の現場を知らないで語っているせいなのではないか、ということだ。
我々人間の食べ物は、自然の恵みだ、と言うことを失念している。野菜もお米も太陽エネルギーをため込んでつくられる。それ以外と言うことはない。食べ物をつくれるのは人間ではなく植物の生存行為に依拠している。神がかりになるが、だから日本人は、伊勢神宮の祭り神は天照皇大神、弘法大師は大日如来をまつってきたのではないか、などと思う。
建国記念日を考えて話があちこちになってしまったようだ。
明日は、田んぼに出て明渠の泥払いだ。米つくりの前に田つくりをしないと稲つくりにならない。地元の保育園から有機米を、と依頼されたので応じようと思う。
おかげさま農場・高柳功