苦労してきた田んぼを繋いできた

(産地の声)vol.1673 一老農のつぶやき           2024.11.13

 10月、11月は収穫の秋というように、実りを迎える季節だ。その昔、祖母が語っていたことだが「秋が終わって一年分のお米30俵が確保できた時には安心できたなあ」という。家族10人が腹を空かさない為の必要量だった。

 

 食べることで精一杯の時代だったとも言える。子供から年寄りまでの大家族が普通だった。家を守るとは、ともかく食べ物を確保するということが第一だった。

 その時代、我が家は1町歩(約1万㎡)くらい田を耕していたと言うが、全て人手での仕事だった。田を耕すにしても鍬と万能という農具を使って耕す。正月も小正月を過ぎると田んぼに入って耕し始めた。そうでないと田植えまで間に合わないのだという。なにせ全て手仕事で田を耕し、次には砕土して、次は代掻きというように広い田んぼを3回は歩き回り一鍬ごと掘り返すのだから大変だったと思う。

 今はトラクターで耕すようになったが、祖母のようにやれるかというと現代人はできないだろう。祖母の時代はよく頑張ったと思う。

 時代が下って家を守ると言うことを古い、封建的だと言われたりしたが、家を守ると言うことは家族の命を守ることだった。

 昔の人たちは後に続く者のために田を耕し、田や畑を守ってきた。食べ物だけでなく家を建てるにしてもそうだった。30年ほど前に家を建て替えたが、それまでの家は150年位前のものだった。住んでた家が何時頃建てたか誰も知らない。代々住み続けてきたのだった。

 今の時代の世間は、一代限りの先しか考えていないような気がするが如何か。子孫が代々生き続けられるよう、と考えているだろうか。

 奈良薬師寺管長の高田好胤さんが、高度成長の真っ盛りの30年ほど前に説法していたこと。物が豊かになったけれど心が貧しくなっていやしないか。他人を思いやる心、感謝する心が少なくなっていいのだろうか、と。

 近年はお店に行けば世界中から野菜や果物が集まり、安い高いだのグルメなどのTVを見てると、人間が劣化してきているように思える。

 食べられるというのは自然の恵があってこそ。前にも書いたが、自然の恵みに対する感謝、自然に対しての畏敬の念が感じられない時代になってしまった。

 11月はイベントの季節。この成田市でも産業祭(16・17日)、ふるさと祭り(23日)が行われる。それぞれの仕事の成果を披露し合い、語り合う時間は、井の中の蛙ではなく、みんなのおかげさまが分かる良い場だ。良かったらおいでください。                      おかげさま農場・高柳功