気温があがりません

(産地の声)vol.1641 一老農のつぶやき           2024.4.3

 我が家の桜は遅れてまだ咲きそうにない。我が家はクーラーがない。昔を想えば、夏には葉が茂り、日が陰りその木の下に縁台を置きくつろぐ、そういう涼の取り方があった。

 

 なので、そういう暮らしを思って植えたものだが、10数年たって幹が30センチ以上になって夏は良い日陰の場ができた。同時に春は桜の花見もできる。葉が茂るとテーブルを用意して自然の風を受けての食事会も気持ちが良いものだ。

 今年は2月までは暖冬と言われてきたが、3月に入り天候が不順となり、同時に低温が続く日が続いた。23日に種まきをしたのだが中々芽がでなかった。稲だけでなくキュウリの発芽も遅れた。温度がとれないからなのだと思う。

 今日は、無着成恭さんの1周期の法要だった。思えば無着老師とは40年の付き合いだった。昭和59年が出会いの始まりだった。仲間からPTAの研修講演者の相談があった。それ以前、「山びこ学校」を読んで感動していたので推薦したのだった。

 その後、何かと東京で会い辛抱強く語ってくれた。無着先生は、農業や自然のことを熱っぽく語り、大いに惹かれた。そうした中で、先生そこまで言われるならば都会の真ん中で語るのではなく、自然豊かな農の中で言ってほしい!、などとのたまったのだが、そんなことで近くの福泉寺の住職になられた。

 そして、そんな中で「あなたはそのままでいいの?!」と迫られ、仲間と創立したのがおかげさま農場だった。人間は人間の側からしか農を見ない傾向があるが、自然の側から見れば、人間が生きていられるのは豊かな自然があるからではないか。

 地球の営み、大自然の実りのおかげで人が生きられるのだ、と。そうしたことをいろいろな見方で語ってくれた。おかげさま農場の誕生も無着先生とのご縁があったからこそなんだなあ、などと40年間を想い出す感慨深い一日だった。

 おかげさま農場も高齢化で後継者不足となっている。どこまで続くか心配なのだが、どうしようもないところがある。養老孟司さんではないが、なるようになるしかない、と思うしかないのかも知れない。

 はっきりしているのは、人間は食べ物がなければ生きてゆけない、ということ。それでも今の日本社会はそのことをあまり考えようとしていないように感ずる。ロビンソンクルーソーの話ではないが、いくら金貨があっても、食べ物がなければ生きられない。そんな思いに沈んでしまうのだが、如何だろう。

                     おかげさま農場・高柳功