(産地の声)vol.1562 一農家のつぶやき。 2022.9.21
お米つくりの話。
野菜は無農薬でやっていたが、お米つくりの田んぼはやむを得ないと1回だけは除草剤を使っていた。それが約20年前の勉強会での出会いで我が家の田んぼの無農薬栽培が始まった。その人は猛毒のダイオキシンが発生する除草剤を使っていいのか、食べるものにそれでいいのか、と問いかけ熱心に語り始めた。
その人とは稲葉光圀さんという民間稲作研究所を始めた人。稲葉さんは元教師で、田んぼの稲つくりの除草剤が猛毒のダイオキシンが使われていることを知って、食べ物を育てるのに、猛毒のものを使うなんてあってはならないという。
そこでたまたま転勤した農業高校に田んぼの圃場があったので、どうしたら除草剤を使わないで栽培できるか、取り組んだ。雑草の生態や田んぼのありようなどを研究し、除草剤を使わないでも栽培できることを立証する実践した。
そして教育も大切だが人間の命の方が大切ではないかと教師を早期退職し、民間稲作研究所を設立し、広く除草剤を使わない稲つくりの普及に務め始めたのだった。退職し田んぼを借りて研究所を始めたその頃に出会ったのだった。
稲葉さんという人は自ら田んぼに入り実践しつつ、心ある農家に働きかけ多くの若者を育ててきた人だった。研究所は栃木県にあるが、今では県内はもとより全国展開をして、教えを請う人にはどこであろうと出かけ普及に努めた。ここ2.3年ではブータンの大使に頼まれブータンの稲作無農薬栽培の指導に出かけもしていた。
千葉県内のいすみ市にも招かれ実地指導して帰りには私の家に寄ったりして、無農薬稲つくりには誰彼と労を惜しまない人だった。そのいすみ市は学校給食のご飯を全て有機栽培(無農薬米)にするまでになった。しかも市内自給だ。
その稲葉さんが昨年亡くなってしまわれた。10年ほど前に民間稲作研究所を社団法人にして、後に続くもののためにと法人化していたので彼の意志は法人が引き継いでいる。
私の無農薬栽培は、稲葉さんに感化されたようなものだ。その間、深水栽培から始まり、失敗して雑草の中での稲刈りなど困難の連続だったが、稲葉さんに出会ったからこそ続けられた感がある。連れ合いが体を壊し今は紙マルチ栽培でなんとか無農薬栽培を続けられているが、今は亡き稲葉さんに感謝しかない。合掌。
おかげさま農場・高柳