自然に感謝して生きよう!

(産地の声)vol.1551 一農家のつぶやき。           2022.7.6

 第7派ののコロナ騒動が始まったようだ。人類の進歩?の方向が世界的に同じ方向で進んでいる。一つはグローバル化であり、もう一つは都市化である。グローバル化と言うことは地域の違いが無視され世界標準ということを迫られる。北極から南極まで、寒いところから暑いところまで、大陸もあれば島もあるという環境の違い無視する方向であるとも言える。

 

 都市化と言うことは一方で大自然から離れると言うことでもある。人間も自然生態系の一員ということからすれば、実に不自然な環境だ。ホモサピエンスと自ら名付けた傲慢な呼び名にふさわしい動きかもしれない。

 農的世界から、人間の世界を見るとやはり異常と言えなくないか、と思う。農家は作物を作る?際に畝間、株間といって一株の間隔をどう取ればいいのか、頭を悩ます。先日収穫したジャガイモを例に取ると、私の場合、畝間は約1メートル株間は30センチで植え付ける。

 これを多く穫ろうと肥料を増やしたり、密に植え付けるとどうなるか。多く植えたからといって多く穫れるわけではない。密過ぎると病気は出るしそれこそ農薬まみれにしないと収穫はおぼつかなくなるだろう。

 反対に密から荒っぽく半分くらいに植えると、一株一株が充実してくる。収量は少々減るだろうが、健康体のジャガイモになる。これは、キュウリやトマト、ナスでも同じことが言える。

 コロナの発生時から感じていたのだが、決まって人口密集地帯からの集団感染だった。生き物は環境に生かされている。その環境を作っているのは人間社会だ。もう戻れないだろうから、第7波が過ぎても新しい?コロナが現れ永遠に終わらないような気がする。

 しかもメッセンジャーRNAという不安定な遺伝子操作の薬液をワクチンと呼んで何回も投与する方法で守れるのだろうか、と言う疑問を抱く。むしろ、mRNAの人の生命に及ぼす将来への影響の方が気にかかる。

 こんなことを書くと多分異常ではないかと思われるかもしれないと恐る恐る書いているが、大きな心で受け止め、こんな考えの人間もいるんだとわかってほしい。

 お金を追うのではなく、行き先は大自然に囲まれて自然に感謝し生きることが命を全うすることなのだと思のだが。試されているように思う。

                     おかげさま農場・高柳功