啓蟄を過ぎました

(産地の声)vol.1484                                    2021.3.10

 今年は3月5日が啓蟄の日でした。啓蟄は春になって虫が動き出すという旧暦の二十四季節の日です。いよいよ迎えた春になって冬ごもりしていた生き物が地上に一斉に出てくる季節になりました。

 

 虫たちばかりでなく庭先に蕗の薹が出てきました。真っ黄色の鮮やかなタンポポも咲き始めました。越冬していた小麦も一斉に立ち上がり畑の緑がまぶしいです。一方、日数の経った菜っ葉類は茎建ちを始め菜の花が咲き始めています。

 これからは、葉物類が難しくなる季節で、冬野菜から夏野菜へと変わる季節で収穫物の端境期になります。宅配の品目が揃うかどうか心配です。

 一方で、人参、大根、ゴボウ、長ネギなどの種蒔きやら植え付けの季節で、私も今日はジャガイモ植えをしました。一昨日は雨が降りましたが、今日は快晴で少々風が吹きましたが、まあまあのいい天気で順調に植え付けを終えることができました。

 話は変わりますが、あの東北大震災からちょうど10年。TVでは特集が何本も組まれています。これはと思う特集を録画し見ていますが連れ合いとチッシュペーパーの取り合いをしながら見ています。想像もできない体験は10年経とうが忘れることができない。生き残った人も亡くなった人を思うと申し訳ないという思いがあって、これもあの体験を引きずっている人も多いようです。

 また福島原発は10年経った今も原子炉内がどうなっているのか、誰も直接知ることはできません。人が作ったものをどうなっているのか人が確認もできず、始末することもできないとはなんと言うことでしょう。

 原発事故は収束した、だから東京オリンピックは開催できると偉いさんは言ってきましたが、ウソに思えてなりません。メルトダウンしたウランは回収できず、放射能まみれの土塊は積み上げられたまま、汚染水は置き場がなくなるなど、問題解決にはほど遠い感があります。

 もういい加減に進歩とか、経済発展とかと言う議論はよして静に今ある命に感謝して生きる「知足」の世になった方がいいのではないか、と思います。私の恩師の「人間は自然がなければ生きてゆけない」という教えをまたまた思い出します。母なる自然に背いてまで欲望の限りを求めていいのだろうか、と思うのです。

 吹けば飛ぶような種が芽を出し育つ様は感動です。その命をいただいて私達の命があることに感謝です。           おかげさま農場・高柳功