恩人の逝去

(産地の声)vol.1465                    2020.10.24

 先週、私の大恩人が逝去しました。御年97歳。先月9月までは畑や田んぼに通い、死ぬまで頑強な人だったのですが、、、。大往生です。

 

 老いてなお野良に足を運び、野菜の荷作りや田んぼの見回りなど働き通した人でした。先月9月までは働いていたのですが、自宅で転んでから急に様態が悪くなり、入院。10数日で息を引き取ったとのことでした。

 病院から自宅に戻りお見舞いに行ったのですが、家人の話すところによると、「先月はじいさんが「田んぼの肝を教えておく」と言われたそうです。田んぼの暗渠がどこになるのか水口はどこにあるのかなど最後の伝承とも言えます。(と言うことは直前まで田んぼのことは故人がやっていた!)

 自己の最期を知っていたのかどうか、しっかりした人なので後に続く人に困らないよう伝えたのだと思います。そう言っては何ですが、お手本のような死に方です。最後まで自分のことは自分で済まして生き抜いた姿に合掌です。

 コロナ騒ぎの世の中ですが、通夜から葬儀まで滞りなく済ませました。

 近年、葬儀の簡素化ややらないという風潮が出てきてますが、私は人生の最後の儀式として必要だと思います。葬儀は、死んだ人が生きている人たちを出会わせる場所です。と先生が教えてくれましたが、本当にそう思います。

 その人のご縁のある人が、お葬式という中でご縁のある人に出会わせてくれるのです。同時にどのような人々に囲まれて生きてきたのかがわかります。出会いの中でそんなこともあったのか、とか意外な人間関係を発見したりします。

 10数年前までは、自宅で近隣の人たちが集まって葬儀をしていたのですが、近年は、葬儀場が当たり前になってきました。我が家の場合、じいさんばあさんまでは自宅で葬儀をしてましたが、父と母になって葬儀場でやるようになりました。祖母と祖父は土葬でしたが、法律が許さず今は火葬です。

 昔を知っている者としては大きな様変わりです。生きることと死ぬことは表裏一体です。どのように死んだかは、どのように生きたか、でもあります。

 今の世は個人主義というか、自由だとか古い習慣はやらないとかいろいろな考えがありますが、人一人が生きるためには多くの人が関わっています。人ばかりではなく大自然の中で花の美しさや、山の雄大さや清らかな川の流れなどに一喜一憂しながら生き抜くのが人間です。もろもろのことに感謝、おかげさまで生きることができるのだと教えてくれたのです。

                      おかげさま農場・高柳功