お彼岸の中日

(産地の声)vol.1336   <お彼岸の中日>       2018.3.21

 毎年毎たび彼岸の中日はお休みの日。なのに今日は小カブやサニーレタスの収穫荷作りでした。娘と研修生が頑張ってくれました。

 

 お昼近くには叔母さん二人が揃ってお参りに来ました。私の父の兄弟です。いや姉妹です。戦前に3人が亡くなり残った兄弟姉妹が5人いたのですが、1昨年父が亡くなり残り二人となったのです。

 海軍飛行兵で、浜松飛行場から飛び立った父の兄に当たる叔父さんは、太平洋上で敵弾に当たり海の藻屑となりました。

 その叔父の話になり、よく働き良き学んで優秀な人だったと言います。朝は4時5時に起きて、学校前の時間にムシロを追って出かけた。帰ったら翌日のムシロ織りの準備をやって、その後勉強をしていつも優等だった、という。

 1反歩の田んぼの稲刈りから束ねまで1日でやってしまったほど要領も良く頭も体も良く動く人だった。男の兄弟が戦争に行くというので叔母に「後はお前しかいないからと牛で鋤うないを託され覚えた」時に17才の娘盛りだった。

 私の父は兄に続いて志願して、これも陸軍航空隊へ行ったが途中で戦争が終わり、朝鮮半島を徒歩で帰って来た。ロシアが進軍しそれから逃れるために夜間行軍をして食うや食わずで逃げ帰ってきたのだが、栄養不足と行軍疲れで脊椎カリエスになってしまい、3年近く療養生活をして立ち直った。

 その間に姉と私が生まれた事になります。いろいろな苦労話が聞けました。我が家の小さな歴史ですが、それがあって今があります。

 叔母達は90才と80才という年齢ですが、今語っておかないと分からなくなってしまうからと、久しぶりに長時間こたつでの語らいが続きました。

 思えば、私も小さな頃を思い出して時代の変わりようが気になります。60年前はコンバインもトラクターもなかった。全て手仕事で、稲刈りは鎌で、田おこしは鍬でした。

 エネルギーを使い放題使い、科学の発展のおかげで機械だらけにして便利になり、効率も良くなったと言うけれど、果たしてこれが良かったことなのか、などと考える時間でもありました。過去はつらかったこともありましたが人間味あふれる時代だったとも思います。

 地球温暖化や環境汚染、放射能汚染問題などはなかった。

先祖の墓参りをしてお線香を手向けた一日でした。

                      おかげさま農場・高柳功