お盆です

(産地の声)vol.1303     <お盆です>          2017.8.2

 当地方では今月がお盆月です。昨年父が他界し今年は新盆になります。長い伝統で8月1日には盆飾りをしてお盆を迎えます。昨日の1日にはむらの親類が新盆お見舞いにきてくれました。

 

 

 ですが、お願いしてあるJA葬祭の都合で5日が飾り付けの日になってしまい仏壇にお参りということになってしまいました。お盆飾りは、畑で取れたカボチャやスイカ、キュウリなどをお供えします。

 かっての日本の家には、ほとんどと言っていいほど神棚と仏壇がありました。神や仏というのは人間が考え出した偶像というとらえ方をする人もいますが、自然に対する畏敬の念や恵みに感謝する人としての有り様を求めてきた想いがその形になったのではないか、と思うのです。

 考えてみれば人間は、その生存のもと全てを大地自然、地球から戴いています。私達の食べるものは全て自然の恵みです。自然の恵みを戴くことによって私達の命があるし、先祖から代々続いて現在の自分があるのですから。

 今の時代、個人主義が発達しそして自由という考えが蔓延してきましたが、それが際限のない形で現れ始めていると言ってもいいではないかと思える現象が出ています。(考えすぎかも知れませんが)最近の殺人事件ではないけれど<誰でも良かった!>と言う人間が現れ始めたからです。

 お盆は、単に先祖供養だけでなく、命に対する敬虔なる想いと命が永遠なることを願い祈る行事ではないかと思うのです。

 思うことは誰にでも出来ますが、それでは分かりません。伝わりません。思いを形にして、行為を通して始めて分かり伝わるものではないか、と思います。

 そんなことで、我が家は伝統的にお盆を迎えます。カボチャ、きゅうり、ナス、など畑で取れたものをまず仏様や先祖にお供えして感謝の心を捧げるのです。

 2014年ミッドタウンでコメ展を開催されましたが、その時主催者に何故やるのか聞きましたら、『今日本の伝統文化が 消えようとしている。そこで数千年というお付き合いをしてきたお米をテーマにしたい』と言うことでした。

 今、日本の伝統文化が消えようとしていることに危惧する人が増えてきたように思います。明治維新で西洋の物まね、戦後は米国の模倣で、でいいのでしょうか。日本語を満足に覚えようとせずに英語ブームでいいんでしょうか。

                        おかげさま農場・高柳功