長寿の村

 (産地の声)vol.1297     <長寿の村>     2017.6.22

 おかげさま農場の片岡です。先日、高柳場長から良く聞く、かつての長寿村「棡原村

(ゆずりはらむら)」についてまとめた、今や絶版になった本を県立図書館から取り寄

せて読んでみました。

 

 棡原村というのは、かつて「長寿村」として日本中にその名をとどろかせた村でした。

「村でした」と書いたのは、実は、その長寿村も、戦後、国道が出来、物流が走り、地元

でとれる食べ物以外の肉や油やインスタント食品が入ってきたり、出稼ぎに行くことで現

金収入で食べ物を買えるようになり、食べものが大きく変わりました。その結果、戦前に

育ったご年配の方は長命で、戦前戦後に生まれたその子供たちが40~60代で早死にするよ

うになったのです。

 それまでは、白米を食べるのは正月やハレの日ぐらい。麦を中心にヒエ・あわ・きびな

どの雑穀と芋類、豆類が主食で腹八分目。里芋は1日に1回は食べるのが普通。食物繊維豊

富なこんにゃく、ジャガイモ、サツマイモなども食べ、冬菜という冬も育つ青菜を年中食

べていました。おっぱいははちきれんばかりに出て、毎日平均4リットルはでたそうで、子

どもは8人、9人が当たり前。ある外国人が「都市部にはもはや日本人という民族はいない。

しかし、ここで初めて本来の民族としての日本人を見た」というほど、低身長で骨太で重

労働にも耐え、他の長寿村の長老より生物学的にさらに20年は若いという長命な村人が住

んでいました。

 棡原村の昭和元年から昭和60年までの60年間の過去の約3000にのぼる死亡診断書や食生

活などを調べ上げた結果、昭和20年までは「うつる病気」だったのが、昭和20年以降は食

べ物などによる「つくられる病気」で死んでいく人が急増したのが判明しました。自給食

から購入食へと変わり、肉・油が増え、野菜や穀物が激減し、そして150㎝以下の平均身長

の大人の中に、小学生にして生理がきたり中学生で170㎝を超える子供が出て来た。そうい

った「早熟」の子どもたちは貧弱で、骨も弱く、早死にしていったそうです。

 生物学的に「早熟→老化→早死」という流れがあるといいます。子供の頃の過剰栄養摂

取、特にタンパク質摂取がアメリカからどんどん推奨され、当時の新聞では「雑穀や米を

食ったら馬鹿になる。パンと肉を食え」と言われていた時代です。どんどん食べ物が西洋

化し、早熟の子どもが増え、昔の日本人らしい成長とは著しく違った成長をする子供が増

増えていった。「食は命」であり「食は民族である」という言葉を噛みしめたくなるほど

沢山のことが書いてある本でした。

                        おかげさま農場・片岡弘充