(産地の声)vol.1290 <田植えと憲法記念日に> 2017.5.3
今日も田植えです。私のムラの田植えはほどんど終わりになっています。私の植える
田んぼだけが残っている感じです。
TVでは、成田空港の利用客がピークを迎えている、とか高速道の渋滞が数十キロとか
連休の報道の真っ最中ですが、思い返すと連休中にどこかに出かけるとか、休日を取る
などしたことがありません。
今の季節は、春から夏へと向かう作物の種まきや植え付けの最適期の農繁期なのです。
猫の手も借りたいと先週書きましたが、今日は教室の卒業生が援農に来てくれました。
田んぼという泥に足を取られるという慣れない仕事を一生懸命頑張ってくれました。
夕食を食べ「どうだった?」と聞くと「ふくらはぎがちと痛んでいるようです」と。田
んぼ仕事は畑と違って体の使う筋肉が違います。「たぶん、疲れで明日は起きられない
かも知れませんが、午後にはまた来ます」ということでした。
ちょっと心配です。
今日は憲法記念日です。祝日にしてあるのは国民として憲法の大事さを自覚するため
でもあるし、人間の尊厳を損なう戦争の愚かさの歴史に学ぶことだと理解してきました
が、どうも状況が嫌な雰囲気になってきた感が強いです。
私の叔父が帝国海軍の飛行士として戦死し、次の私の父が志願して中国から朝鮮半島
を経由しなんとか国にたどり着きましたが昨年なくなりました。
その父が痴呆症になって最後に半紙に記した文字が「平和」です。孫が書道を習って
いて半紙に練習が書きしていたときに一緒に書いたそうです。
戦争は何もかもを奪ってしまう。この辺では、飼っていた馬を全部徴用に捕られた。
お寺の鐘も、先祖の植えた木材=杉もとられた。そして叔父の命も取られた。理不尽こ
の上ない事態になってしまうことだ。と父や祖父が語っていたことを思い出します。
国を守るというのは軍備を用意するのではなく、今ある私達の生活や自然環境を守る
ことではないでしょうか。人類は進歩しているのではなく劣化しているのではないか。
競争をあおり、勝たないと生き残れない、などという社会は健全とは思えないのです。
お互いを思いやり、共存共栄で心通う世の中であって欲しいと願いつつ生きてきまし
た。偉そうなことを書きましたが、憲法記念日に思ったことです。
おかげさま農場・高柳功
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