(産地の声)vol.1280 <夏野菜の種まき> 2017.2.23
先週末の土曜日、食と命の教室初回でした。トマトとナスの種まきです。参加者がちょっと多く会場の心配をするほどでしたが、無事初回を終えることができました。来月がポットの移植で、食べられるようになるには六月です。
俳句で、どうしても思い出せないのですが、・・・・・・種を蒔いておく、と言う句が頭の中を駆け巡っています。なのですが、作者と最初の部分がどうしても思い出せません。誰か思い出したら教えてください。
まあ要するに種を蒔く、と言うことがとても意味あることなのだと言うことを言いたいのです。農人とはある意味種を蒔く人のことです。種を蒔くと言うことなしに全ては始まりません。蒔かぬ種は生えぬ、ということもそうです。
人は食べるものがなければ飢えてしまいます。また木々が育たなければ家も家具も作れません。人間は地球自然にとっては、消費者ですから何らかの手立てがなければやがて人間に収奪されっぱなしで荒野になってしまうかも知れません。
そこで、いったん開墾と称して耕地にしてしまいますが、そこに種を蒔き緑を復活させて美しい稲田、緑いっぱいの畑にします。それが自然の実りであり食べ物として営々と受け継がれてきて、私達人類の糧となってきたのでした。
今はそういう実感わかない時代になってしまったようです。既に多くの人は自然から離れ、都会に住む人だらけになってしまって、田や畑を見ても何が植えられ何がどう育っているのかもわからずに、の状態です。
田んぼの苗が一斉に芽を出し青々と育った苗を見て「あれは何?農家は芝を育てているの?」とか、「ナスって小さいのも大きいのもあるんですね?」とか、こちらが何を聞いてるのかわからない言葉が発せられる時代です。
落花生が土の中に実をつけることを知らないのはまあわかるにせよ(豆類は枝から花を咲かせ実をつけるのが当たりまえですから)、余りにも珍問がでるのには困ってしまいます。
うちに来るドイツの青年に、「あなたは何故我が家のような農家にホームスティーを希望したの?」と聞いたら「私は農業をするつもりはないけれど、自分が食べるものがどのようにできるか、農業はどういうものかいくらかは知っておきたい。人としてそれは必要なことだと思うから」ということでした。
種を蒔くことや農を知ることは人としての原点を知ることだと思うのです。
おかげさま農場・高柳功
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