(産地の声)vol.1262 <今年の秋冬野菜は> 2016.10.12
大隅教授がノーベル賞を受賞して報道は賑わっています。大隅教授のノーベル賞でのインタビュー記事で、応用研究の支援を重視しがちな社会に「大変憂えている」という。
私が注目したのは、「『役に立つ』という言葉が科学をを駄目にするのではないか。すぐに役立つだけの研究、目先だけの研究へと進んでいる。「基礎科学が本当に役立つのは100年後かもしれない。将来を見据え、科学を一つの文化として認めてくれる社会を願っている」と訴えたことです。
今から数十年前のことですが、話したことを思い出しました。ちょうど経済成長で浮かれていた時代とも言えるのですが、曰く「こんな時代がいつまでも続くとは思えない。いつかおかしくなるような気がする。」と言うのです。ものが氾濫し、便利になって何でもある、と言うような時代がおかしいと言うのです。
大隅教授の話とどうつながるかというと問われても困るのですが、唐突に思い出したのです。大隅教授の言われることは、役に立つものは良くて実際の研究畑では、基礎研究の予算が減額され続けているという。
これでは将来ノーベル賞はなくなる(受賞者がいなくなる)と言った懸念を言っていました。これは大変なことだと思うのですが、皆さんはどう思いますか。
農の世界も、単に安かろ良かれで外国農産物が当たり前になって、国土の90%を占める地方=農山漁村がおろそかになっています。ビジネス感覚でしか農業を語れないような時代へと進んでいます。
緑豊かな日本と言いますがそれはそこに住む人たちが、自然の恵みをいただきつつ、自然と向き合い、自然の整備をしているからこそ美しさが保たれています。
そういう関係がなくなるとどうなるのか。近年の地方を見ると田んぼの休耕地が荒れ果てた地になり、次に畑までもが荒れ地となっているのが目立ってきています。
地方に人がいなくなり地域を守る人がいなくなっているのです。
先日BSで、イタリアの地方の伝統を守り続ける番組がありました。地方に住み伝統を守って暮らす人々の姿が印象的でした。
かっての日本の農村風景とダブります。この国もそうした姿を残せるようになりたいものです。
おかげさま農場・高柳功
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