(産地の声)vol.1232 <季節は啓蟄を過ぎ> 2016.3.9
5日に啓蟄の日を迎えました。春になり土中や草むらに冬ごもりして越冬していた虫たちが一斉に出てくるという日です。昔の人たちはそのときを啓蟄の日として春を迎えてきたのですが、よくよく観察していたのでしょうね。
私など野原や山がすぐ近くになるのですが、中々それが見えません。庭先のフキノトウが出てきたのはわかるのですが(よく見えますから)虫は中々気がつかないのです。
啓蟄の日と考えるとレイチェルカーソンを思い出します。『沈黙の春」が書かれたのは1961年です。アメリカ東海岸に近い所にある別荘は自然豊かなところで毎年ゆくのが楽しみでした。ところがその年はおかしかった。何がおかしかったのか最初は分からなかった。
しばらくして、いつもなら春の訪れにともない鳥がさえずり、虫たちも飛びはね、小さな池にも小魚が見えたのに、それら生き物が全くいなくなってしまっていた事に気づくのです。
春は、啓蟄のごとく生き物が豊かな季節のはずなのに、です。期を同じくしてカーソンの元に手紙が届きます。「何かがおかしい、カーソンの手でその原因を明らかにして欲しい!」そんなことから全米の生物学者や研究者達に連絡を取り合い、観察結果や研究資料を取り寄せ、その結果が農薬、化学物質が原因であり、食物連鎖の系の中、生物濃縮が起こり死に絶えてしまった、ということを証明したのです。
それから55年が経っています。問題は解決されたのでしょうか。化学と科学の発達によって人間社会は飛躍的に進歩?しました。人間の生活向上、利便性の向上には切りがありません。
環境にばらまかれた化学物質は回収できません。それらが時間をかけて地球自然環境にどういう影響を与えるのか、誰にも分かりません。が、どこかで環境からの揺り戻しがあるのは避けられません。大気汚染、土壌汚染、水質汚染などの形でじわじわとそれが進行しています。
3.40年前、有機農業や自然農を目指す仲間達はそうしたことを憂いて、化学に頼った農法では無い自然に寄り添った農法へと取りかかったのでしたが、少数派でした。それでも頑固に50年先100年先を考えて取り組み奮闘してきたのです。誰のためでもない地球に生きる、生かされている人間としての努めのようなものです。
おかげさま農場・髙柳功
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