(産地の声)vol.1231 <お金の鱗> 2016.3.3
おかげさま農場の片岡です。先日、高柳場長から「今回は片岡君が書いてよ」と
頼まれましたが、今回もまた頼まれましたので、2回目の登場です。
改めまして自己紹介を致しますと、私はおかげさま農場のホームページの作成や
更新、農場の現場の声を届ける「おかげさま通信」などを書いたりしています。
また、高柳場長とは4年前から「食と命の教室」という、有機農業を実践しながら
田んぼ、麹作り、稲ワラ納豆作りなど農村の暮らしを学んだり、「食べ物と命の関係」
「日本人の昔から続いてきた生活文化」などをみんなで意見交換をしながら学び合う
教室を開催しています。
先月の20日に今年1回目の教室を開いたのですが、今年も各地から様々な経歴や思いを
持った方々にご参加頂きました。
みんなで里山を散策しながら「昔の人は山裾の水がある所に住み着いていた。
それは田んぼには水が欠かせないから。この集落は1000年は続いているんだよ。
一方で、この辺の山の上の畑は明治になって開墾されたから100年ぐらいの歴史なんだよ」
と、同じ地域でも歴史が違う事を教えてもらいました。
また、戦前戦後から日本の食べ物が大きく変わってきているお話を高柳場長から
して頂きましたが、特に塩のお話は多くの方が衝撃を受けていたようです。1970年代に
塩田法によりそれまでの自然塩を作ることが出来なくなり、工業的に作られた純度が
99,9%の塩のみしか販売出来ないことになりました。「純度99,9%の塩化ナトリウムって
化学物質と同じでしょ?だから私は70年代より前とその後の人では、人の体がどこか
変わってしまっているのもあり得るな、と思っているんです」というお話に、そうかも
しれない、と多くの参加者が共感をしていました。
また、ある参加者からは「私は今までお金の鱗を身にまとって生きてきたんです」
といった発言もありました。どういったことかというと「自分で1人で強く生きていく
と若い頃に決めたんです。そのためにはお金が必要、だからお金を第一にして生きて
きたんです。でも、これでいいのかな?とずっと疑問に思ってきたんです。ここに来て
経済優先ではない世界があることを知れて本当に良かったです」とのこと。
私は、「お金の鱗」という表現にドキっとしたのですが、都会で自分の生活を守る
ために会社や仕事を優先し、結果的に自分の事を後回しにしている人がますます増えて
いるのではないだろうか?と思いました。
おかげさま農場では当たり前の「人も自然の一部」「食べものは命そのもの」と
いった考えは、社会全般では少数で、ますますお金を追いかける社会になっている
気がします。だからこそ、そういったことを確認し合い、世の中の方がおかしくなって
きているよね、と確認が出来る場所や仲間が、これからの時代、ますます必要になって
来るのかもしれませんね。
おかげさま農場・片岡弘充
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