天の恵みに感謝

(産地の声)vol.1213  <天の恵みに感謝>      2015.10.14

 

 ようやく稲刈りが終わりました。最後はモチ種でしたがこれが難儀しました。初めてモチ種を作ったのですがもち米はハデないといけないのです。もち米は、うるち米と違って透明感のある粒ではなくて、粒が白くならないといけないのです。(白くなることをハデるといいます。)

 

 自分で食べるだけなら白くならずともモチになるのですが、販売となるとそうはいきません。乾燥を2回に分けて乾燥します。乾燥具合で白くなるのです。仕上がったと思われるモミ米を手動で籾すり確認します。その加減が難しいのです。

 それにしてもお米は日本人の歴史の中で欠かせないものでした。三千年前に日本に持ち込まれ延々と伝えられ作り続けられてきたのです。それまでの狩猟採取の時代から栽培耕作する農耕文明の始まりの主役でした。

 7.8千年前に稲の種にモミの落ちない種が見つかったのが始まりと教えられました。稲という種は他の多くの植物と同じく、花が咲き実を結ぶ。その実は自然と落ちて再び発芽条件が整えば再び芽を出し成長し、実を結びます。実れば落ちてしまうのが自然だったのです。

 それが、たまたま実の落ちない種を見つけたことが栽培を可能にしたのです。落ちてしまう種は収穫できません。穂から落ちない種だからこそ収穫可能になったのです。そこに栽培という入り口があったのです。そしてそれまでの狩猟採取の不安定な食環境が定住という安定的な生活をする社会が生まれたともいえます。欧州では牧畜農業、そして日本を含む東アジアモンスーン気候の地域で農耕文明の誕生がありました。

 お米が日本に伝わる迄に五千年という気の遠くなるような時間がかかって到着し、以来作り作られてきました。日本の記録に残る最古の古事記にもその記述がありますがいかにお米が大事であったのかわかります。

 大国主命の豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)、瑞穂国(みずほのくに)という記述があるように国作りに稲作りが中心となって豊かな国になったとの意なのでしょう。だから伊勢神宮、出雲大社を始めとする神社では今でもお田植え祭が定例行事として行われています。

 我が家もそれに倣い新米を糀にして甘酒を作ります。そしてこの17日のジンジ(神嘗祭)に神主さんから届いた幣束と併せて氏神様に奉納します。自然の恵みに、そして命の続くことに感謝するのです。  byおかげさま農場・高柳功