(産地の声)vol.1201 <梅雨が明けました> 2015.7.22
とうとう梅雨が明けたようです。連日の30度を超す猛暑で全国では数百人に
のぼる人が熱中症にかかったというのですが、私達は、だからといって畑に出ない
わけには行きません。
ナスやトマト、オクラ、空心菜、モロヘイヤ等々ギラギラする太陽の下収穫カゴ
を下げて収穫に回ります。
ナスもなり始めたと思ったら連日風が強く、こすれて実が傷つき半分は処分対象
品になってしまっています。台風の影響なのでしょう。ナスは大きくなるとブラブ
ラと風に揺れます。少しの風ならいいのですが困ったものです。
「販売できるものがない!」と事務員さんは声を張り上げていますが中々注文通
りにはいかないのです。
今朝は、隣の家の人が遺族会の用事できました。前にも書きましたが、私の父の
兄が太平洋で戦死しています。海軍飛行兵として敵弾に打たれ飛行機もろとも太平
洋の藻屑となって命を落としました。
父も志願兵として陸軍飛行隊に属し、朝鮮半島で終戦を迎えました。その時上官
からは、部隊は解散自由に無事に帰れ、と言う命令だったというのですが、ロシア
が侵入しどうするか迷ったが、四人の戦友と逃げることに決断し、朝鮮半島を3
ヶ月かけて日本に帰り着くことができたのです。ロシアに抑留されて敗戦から3
年後に生き延びて帰った人もいます。
そんなことで戦後70年になりますが、「戦没者特別弔慰金の支給申請をしたら
どうか、」と言う話しでした。「父ももう90才になり、お金も使う事も無く数万
円のことだからいい」と言ったのですが、「でも申請だけでもいいではないか」と
勧められたので申請することに。
隣人は、今年から稲作りをやめました。叔父さんが戦死し、生き残っている遺族
会員としては若い方なので(それでも70代です)役員をしているのですが、戦
後の苦しい時代からそれこそ食うためにお米作りをしてきたのです。「えらい時代
になったものだ」「食べることができないことがどれほどのことなのかわからない
時代になってしまった」と大きなため息をついていました。
真夏の太陽は少し動いただけで汗がしたたり落ちます。どういう訳か湿疹がで
き、お医者さんに言ったらアレルギー性皮膚炎かも知れないと診断され、薬を塗っ
ていますが治りません。痒みも困ったものです。 支離滅裂の話でした。
byおかげさま農場・高柳
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